低い声で呟く

横浜市内在住、オタクな3児の母によるブログです。

国語の長文読解問題

「まず設問を見て、傍線や記号があるところを読めばいい」

と解法テクニックとしてよく聞きます。重要な部分を先に把握できて、時間の節約にもなるとか。

さもいいことづくめのように言われたので、一度だけやってみたことがありますが、さほどメリットを感じませんでした。

むしろ、文章の全容が把握できず、気持ち悪かった。

そもそも、国語で時間が足りなかったことはないので(全問正解という訳ではないけど)必要なかったのでしょう。

教材として一部切り出された文章であっても、文章として読むことを楽しんでいたんですね。

「この続き、気になる!」とか「どういう経過でこうなったんだ?」とか、よく思っていました。

ネットが普及していなかった時代の話なので、労力をかけて原典を探すことは滅多にしませんでしたが。

国語は得意科目だと自負していましたが、漢字や語句等の知識問題以外は、かなりの部分「感覚で解いていた」なぁ…と、今は思います。

子供の頃からの読書経験で身に付けた「感覚」によって、それなりの成績を取れていたのですよ。そういえば当時、国語の勉強法を尋ねられると「本を読め」と言っていた。

今になって本当に理解したこと、詳しく知ったこともたくさんあります。それもまた楽しいものです。

しかし、長女は着々と国語嫌いな傾向に進んでおり、もどかしいところです。面倒臭がりなんでしょう。文章読みたくない、漢字練習したくないと。何とか文章を読ませたいと思って、アニメ映画のノベライズを買ってきたりしました。最近、図書室で本を借りてくるようになりましたが、物語よりは図鑑っぽいのとか、「〇〇のしくみ」みたいな漫画形式で説明したものが多いですね。漫画は大好きだからね。

以前は私の漫画をリビングに置いていて、長女にも読んでいいと言ってありましたが、やらなきゃいけないことを放置してまで嵌ってしまったようだったので、結局取り上げることになってしまいました。「こどものおもちゃ」と「動物のお医者さん」がお気に入りだったんだけど。もう少し自制心が育ってから一緒に楽しみたいです。

長女の、勉強したがらないくせに、学力テストのCMを見て「受けたい」とか言うところが謎です。単に目新しいことに興味を示しているだけかとは思いますが。止めてしまった「がんばる舎」のプリントも、お試しの時点で「やりたいやりたい!」と目を輝かせて、1日に何枚もやってたんだけどなぁ…。飽きっぽいんだよね。

読解問題を楽しむほど文章を読むことに慣れてしまえば、勉強は苦痛ではないんですけどね。その感覚は理解しない方向に育っていると思います。それが駄目だということではなく、個性ですよね。自分も、唯一の取り柄が「学校の勉強」だったというだけの子供だったので、それが良いとは言い切れないということを忘れずに、我が子を見守っていきたいものです。