他人が自分と同じように思うとは限らないので、私は同意してほしいこと、否定されたくないことほど、人に話せなくなる。
そもそも、嫌なことがあった時、誰かに話してスッキリできるという性質ではない。
話した時点で反論や否定は覚悟の上なので、思うところがあるなら言ってほしいのだが、形だけと思われる同意の言葉をもらったり、「聞いてあげたよ。他に何か?」ぐらいの無反応だったりした方がモヤモヤする。
聞いてもらえて、相手が心から共感してくれていることがわかればスッキリするかもしれない。
以前は、仕事で腹が立ったことなど、夫に話していたけど、反応が薄かった。「何か感想や意見はないの?」「別に」みたいな感じ。結局、他人事なのだから興味が沸かなくとも仕方ないことだと強く感じて、あまり深い部分を話さなくなった。
夫は一部の人に、相談相手として定評があったようだが、私が意を決して相談しても、軽く流されるような反応ばかりだった。要は、話を聞いて、背中を押す人なんだ。既に方向性が決まっている人には良き相談相手なのだろう。私の場合は、方向性が決まってしまえば、誰かに相談するまでもなく、自分で進めてしまう。考えて考えて、どうしてもわからないから何か意見が欲しい、批判でも構わない、と思って相談するので、「やりたいようにやればいい」と言われても困る訳だ。
以前、義母が、その場にいない人の悪口(と私には感じられた)を言っていて、後で夫に「ああいうのは気分が悪い」と訴えながら泣いてしまったことがあったのだが、夫の反応は「愚痴なんだから、しょうがないじゃん」という一言だった。そうか、この人は、こうして愚痴を聞き流して育ってきたんだ。そして、義母は話せばスッキリする人なんだ。だから、私も、ただ聞いて欲しくて話していると思われているんだ、とその時理解した。
実母も生前、「聞いてもらえるだけで楽になる」とはよく言っていた気がする。その後に「だから、黙って聞け」が省略されていたんだろうなぁ。
「女性は」と一般化できる話ではないと思うのだけど、多数派なのだろうとは感じる。