低い声で呟く

横浜市内在住、オタクな3児の母によるブログです。

理不尽な経験

ふとしたきっかけで思い出してはモヤモヤ、イライラ、やりきれない気分になる、中学生の頃の理不尽な経験を書きます。

私が通っていた中学校は、クラスに「委員長」と「副委員長」が1人ずついました。ほとんどの場合は委員長が男子、副委員長が女子だったのですが、そのように規定されている訳ではなく、男女各1名であれば良かったようです。どこでも活字があれば読んでしまう性分だったので、生徒手帳も読み込んでいたはずですが、どのような記述だったかは忘れてしまいました。

私は1年と2年の後期に、委員長に選出されてしまいました。リーダーシップや人徳があったのではありません。勉強ができただけです。そして、入学当初の自己紹介で悪目立ちしたため、よくからかわれてもいました。以下の記事に少し書きました。

キレる教師がいた話 - みすみよしかのブログ

良く言えば、「勉強できるけど話しやすい」みたいな存在だったかと思います。からかってくる奴も多かったけど、大多数とは仲良くしていたかと思います。すごく嫌いな人も何人か、今でも思い浮かぶけど、トラブル起こすほどの接し方はしていなかったと思います。ただ、私は地顔・地声の状態で「怖い」とよく言われていたので、相手がどう感じていたかはわかりません。

私が委員長だった頃は、他に女子が委員長をしていたクラスはなかったと思います。自分が委員長でない3年の時に、1年にそのようなクラスがあって、そこの委員長が自分と同じ嫌な思いをしませんように! と心の中で願ったことを覚えています。どうしてそのようなクラスがあるとわかったかと言うと、全校集会等でクラス別に整列する際、男子の列の先頭に委員長、女子の列の先頭に副委員長が並ぶからです。そういう場合に人目についてしまいますが、役割は淡々とこなしていました。

その出来事は、2年の時でした。放送での呼び出しにショックを受けました。

「2年〇組以外の副委員長と、2年〇組の委員長は、△※室に集まってください。」

〇組は私がいたクラスです。集められたのは、卒業生の胸のリボンを作るためだったと思います。各クラス1名、女子が来て作業してほしい、という趣旨の呼び出し。

私は名指しされたも同然だったので、クラスでも笑いが起きました。

笑われたことより、普段委員長の仕事を全部やっているのに、何で副委員長の仕事もさせられるのかと、そこに憤りを感じたのでした。当時の副委員長にそのままぶつけて「お前、副委員長なんだから行けって」「はぁ? 呼ばれたのお前だろ?」というやり取りをした記憶があります。力仕事だろうと何だろうと、逆パターンの呼び出しは一度も聞いたことがなかったのです。

おそらくこれには、私と副委員長のキャラクターというのが深く関わっていたのだろうとは思います。私が華奢でおとなしい人物でありながら委員長であったのなら力仕事には副委員長が呼ばれていたのだろうし、副委員長が器用で細かい作業が得意なタイプ(もしくはオネエ系もアリ? )だったなら件の呼び出しは全クラスの副委員長宛だったかもしれません。私はよく男と間違えられていたし、男扱いでからかわれることも多々あり、それでも他の女子とは普通に仲良くやっていた(見た目は浮いてたかもしれないけど)のでした。対して副委員長は、普通の男子。女子からの人気はない方でした。女子に混ざってリボン作りなどさせられたら、本人も周囲も気まずい思いをしたこととでしょう。

そこまで考えが至りながらもやりきれない思いが消えず、今でも度々嫌な気分になるのは、「誰よりも多く仕事を割り振られた」という思いが強く刻まれたからです。件の呼び出しにより、仕事の量は

私>他クラスの委員長>他クラスの副委員長>私のクラスの副委員長

なのだと認識しました。

実際には、力仕事の場合など、他クラスの委員長に気を遣わせていた部分はあると思います。長机など、皆と同じようにひとりで真ん中を持って運ぼうとしていて、「手伝うよ」と片側を持ってくれた人がいたことは覚えています。

誰でもできることのはずなのに、暗黙の了解として「女がすること」「母親がすること」とされていることはたくさんあって、今まで色々な経験をして、納得いかない思いもたくさん味わいました。高校から大学にかけての時期は、本当にしょっちゅう男性と間違われており、女性だとわかった途端に…ということもよくありました。それでもこの中学校での経験が、別格の嫌な思い出です。すぐそばに副委員長という、明らかに楽をしている人物がいたからだと思います。長々と綴ってきましたが、要はそいつへの恨みが心に深く刻まれている訳です。

「委員長・副委員長」じゃなくて「男子委員長・女子委員長」なら良かったのにね。今はどうなっているか知らないけど。